補足講義Ⅱ 『善と悪について』

善と悪についての定義は

「主体と対象が愛と美を良く授け、良く受けて合性一体化して神の第三対象となり、四位基台を造成して、神の創造目的を成就する行為とか、その行為の結果を善といい、サタンを中心として四位基台を造成して、神の創造目的に反する目的のための行為をなすこと、または、その行為の結果を悪というのである。」原理講論p73

 

とあります。

この善の定義は、「主体だけとか対象だけ」では善は成せないという事です。

「主体と対象が」で主語になっているからです。

つまり、一人では善は成せないという事です。主体と対象関係、二人でしか善は成せないということです。

神の創造目的を成就する行為とか、その行為の結果が善ですから、ここでいう創造目的は、四位基台です。

「四位基台は、神の永遠なる創造目的となる。」原理講論p55

元々、一つだった神様が二つに分かれて一つになる事で、四位基台の型になります。主体と対象関係で、四位基台と成そうとしているのか?

四位基台を成したのか?を神様は見られているということです。

我々の良心は狂っていると前の講座で学びました。

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            「良心について」

 

良心は我々が善だと思うものを常に指向します。

ゆえに絶対的な善の基準が立てられないといつまでも闘争は続くと原理講論にあります。原理講論p119に記載されています。

 

つまり、今回学んだ善の定義を明確に知らないと、我知らず悪を行っても良心の呵責すら感じにくいという事です。もちろん、本心は引き戻そうとしますが、良心は自分が善だと思っているものを指向するので簡単ではありません。

 

この善の定義を明確に知って、信仰生活で有終の美を飾りましょう!